「物流」と「人材」を軸に多彩な事業を展開。新分野にも果敢に挑戦。
株式会社ユーユーワールド
取締役社長 小川 拓矢
1973年生まれ。宇都宮大学 工学部 電気電子工学科を卒業後、コネクタの総合メーカーである第一電子工業株式会社に入社、機械設計を担当する。2008年に父が経営する株式会社ユーユーワールドに入社、2010年に専務取締役に就任。設立からの主力事業である物流・貿易のほか、人材派遣や介護サービスなどを手がける。斬新なアイデアで新規事業を実現し、なかでも2014年にリリースした「ご飯にかけるギョーザ」は、累計200万個を売り上げるロングセラー商品となる。2022年、取締役社長に就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
海なし県に港を創る。
ユーユーワールドは、「海なし県に港を創る」というビジョンを掲げ、物流・貿易・通関・倉庫業を行う「物流の何でも屋」です。これに加え、業務請負やアウトソーシング、人材派遣業、飲食業など、地域密着型の事業を幅広く展開。地域の人々のさまざまなニーズに応えています。
創業者である私の父は、前職で倉庫会社に勤めていました。父は当時から、「栃木県は海がないわりに海外との物のやりとりが多い」という点に着目していたのです。県内には大手企業の工場が多く、海外から輸入された原材料が工場に運び込まれてきます。また、完成した商品は栃木県から海外に送られていきます。
しかし、これらの輸出入に関する手続きは東京や横浜の港で行われており、栃木県の企業は一切タッチできません。以前から海外取引に興味があった父は、「これはもったいない」「ならば自分がやってしまおう」と、通関や保税に関する知識を蓄積。そうして1994年、48歳でユーユーワールドを起業しました。
海のない栃木県で国際物流をやろうなんて、普通では考えつかないと思います。ただその頃から、「インランド・デポ構想」というものが日本各地で起こってきました。インランド・デポとは、通常は港で行う梱包や通関、貨物の詰め込みや取り出しを、荷送人や荷受人の身近にある内陸地で行うための拠点です。
父の起業は、そうした構想の実現に向けた先駆的な動きでもありました。現在においても、栃木県内で国際物流に必要な通関・保税業務を行えるのは当社のみです。
肩肘を張っていた新人時代。
電気電子工学科に在籍する大学生だった私は、父の会社ではなく、メーカーに就職して機械設計を担当していました。しかし、30歳を過ぎ、家庭を築き子どもを持って、改めて自分の将来像を考えたとき、自分の思う通りに事業を進める父の姿をうらやましく感じるようになったのです。
父を見習い、自分もいろんなことにチャレンジしてみようか。そう考え、ユーユーワールドへの入社を決意しました。母から「継いでほしいと思っているみたいだよ」と言われたことも、その決断を後押しするきっかけのひとつとなりました。
入社してしばらくは大変でした。「社長の息子にふさわしい行動をしないといけない」と、肩肘を張りすぎていたのです。今振り返れば、そんなことを言う人は周りに誰もいなかったんですけどね。しかもメーカーのエンジニアだった私には、営業経験がありません。
ものづくりの仕事は、お客さまと仕様を固めていけば、最終的には必ず形になります。一方、ユーユーワールドの仕事は、物流にしろ人材派遣にしろ、人間が相手です。そこに物がないのに何を提案すればよいのか、なかなか感覚的に掴めませんでした。
結局、下積みからやり直すしかありませんでした。周囲の先輩方に食らいついて質問したり、営業同行をしてもらったり。ある程度仕事を覚えてからは、飛び込み営業を繰り返しました。栃木県内だとどうしても「社長の息子」と言われてしまいますから、福島など近隣他県で営業する方が気分は楽でしたね。そういったことを何年かやるうちに、自分の中にパターンができてきたように思います。
失敗の末に生まれた「ご飯にかけるギョーザ」。
多少なりとも営業として格好がつくようになって以降は、父から「物流や人材派遣など、既存事業は形になってきた。お前たちは何か新しいことを考えてくれ」と指示されました。
そうはいっても、新規事業のネタがそうそう転がっているわけもありません。アイデアを出してはうまくいかず、失敗の連続。失敗続きで考えるのを止めたくなったことも何度もあります。よくいえば未来への投資ですが、現実的にはみんなが稼いだお金を食いつぶしてしまっているのですから。
何十個と続いた失敗の末、ようやく日の目を見ることになったのが、「ご飯にかけるギョーザ」です。もともとは、栃木県内の生産者をバックアップするために、「栃木でナンバーワンのお土産を作りたい」と考えたのが出発点です。
試行錯誤を重ねた結果生まれた商品なので、ヒットしたのは嬉しかったですね。こんなにも長く愛され、累計200万個も売り上げる商品になるとは思ってもみませんでした。
苦労はしましたが、新規事業にあれこれ取り組めたのは良かったと思っています。おかげで自分が社長に就任してからも、新しい事業を進めることに抵抗がなくなりました。
物流はまだ伸びる。人材では新サービスを開始。
設立からの主力事業である物流はまだまだ伸びることを想定しています。特に倉庫業には力があるので、群馬や南埼玉にも事業エリアを広げ、大きく成長させたいと思います。
当社には、物流部門で働くベトナム人の従業員がいます。彼らがいずれ祖国に帰ったとき、当社の業務に携わってもらえるよう、ベトナムに当社倉庫を設ける構想もあります。日本でユーユーワールドのやり方を学んだスタッフが海外の倉庫を運用してくれたら、これほど心強いことはありません。
人材サービス事業も拡充しています。私が社長に就任して最初の大きな改革として、「Y+CONNECT(ワイコネクト)」というサービスを立ち上げました。そして、2023年7月にJR宇都宮駅から徒歩15分ほどの幹線道路沿いに新拠点を開設。これまでは、物流とつながりの深い倉庫や工場などへの人材派遣が中心でしたが、事業分野を広げ、事務系の職場への派遣ニーズも開拓しています。
さらに、デジタル系の教育事業を行う会社と業務提携し、IT資格を取りたいと考える人に必要な教育を提供。資格を取得できた人に資格を活かせる就職先を当社が斡旋する、という仕組みを構築しました。
この事業は、2023年11月に正式スタートします。少子化で働く人の数が減ると、人材一人ひとりの質が大事になってきます。そこで、「教育を受けて、自分の市場価値を高めるという選択肢」があることを伝えたいと考えたのです。
物流と人材を主軸に、年商を現在の30億円程度から50億円、さらには100億円の企業にしたいと考えています。一方で、売上や利益を重視しすぎて必要以上に従業員の尻を叩くつもりはありません。
大切なのは、従業員が楽しみながら仕事できているか、ということです。従業員が前向きにチャレンジすることで、事業成長のダイナミズムを感じられる。そんな会社にするのが私の務めだと思っています。
学びを通じて実感した、人の縁のありがたさ。
ユーユーワールドに入社した当初、仕事が思いどおりにいなかった頃、とにかく知識をつけようと経営リーダー塾に参加しました。その塾には、会社の後継者など自分と似た立場の人が出席していて、みんな同じような悩みを抱えていることがわかったのです。「自分だけじゃないんだな」と気づけたことは心の支えになりました。
そうした経験から、学ぶ機会はなるべくたくさん持つようにしています。栃木県内だけでは視野が広がらないと思い、東京に行ったり京都に行ったりもしました。ユーユーワールドの名前が通用しない場所で、まっさらな気持ちになって経営を基礎から学べたと思います。
昨年は、宇都宮大学で開講された「ニューフロンティア・プログラム」に参加しました。若手起業家や経営者、創業予定者などが集まって、自分の事業の内容やビジョンを発表し、それを題材に大学教授や出席者とディスカッションするというものです。
ときには本質を突く厳しい意見が出て、非常に落ち込むこともあります。自分の抱えている迷いが、簡単に見抜かれてしまうんです。しかし、そういう人々との出会いは嬉しいですね。人の縁のありがたさを実感します。
自分の色を出し、着実に歩んでいく。
ユーユーワールドに入社して、「社長の息子」に対する周囲の目線に、ずっとプレッシャーを感じていました。しかし、すべては思い込みで、いざ一歩踏み出してみると、周りは「二代目はどんなことをしてくれるのだろう」と期待しながら待ってくれていたのです。そのことに気づくまで、10年くらいかかってしまいました。
私は堂々と自分の色を出せば良かったのです。私は父と違うのだから。父はがむしゃらに仕事をとってきて、独力で成果を出すバイタリティのある人でした。同じやり方は、私にはできません。
その代わり、私は周りの人々と協同し、支え合いながら課題に向かうという、父とは違ったやり方で事業を進めることが得意です。従業員たちも「A社とパイプをつないだから、今度社長も同行してください」など、どんどん持ちかけてくれるようになっています。人と人とのつながりの中でヒントをつかみ、機会を得るのが私の得意技だと知ってくれているのです。
そんな従業員が揃っているユーユーワールドは、本当に良い会社だと感じます。これからも肩肘張ることなく、自分らしく事業を進めていきたいと思います。