「創意・誠意・熱意」で地域と共にモノづくりで貢献。
栃木精工株式会社
代表取締役社長 川嶋 大樹
1978年生まれ。栃木県出身。東京工業大学大学院(分子生命科学専攻)修了後、製薬会社に入社。2006年、栃木精工に入社。2010年6月、31歳で社長就任。
※所属・役職等は取材時点のものとなります。
70年続く会社を存続させ、付加価値を創出する。
当社は1948年に創業して以来、注射針やカテーテルなどの医療機器や精密金属パイプの製造・販売を手がけてきました。私が祖父、父から受け継ぎ3代目の社長として就任したのは2010年6月ですが、最初に取り組んだのは、栃木精工という会社の存在を再定義することでした。
当時すでに60年以上会社が続いたのですが、本社屋は年季が入り、その建物・設備を維持するために当時の年商15億円に対して、20億円もの投資が必要でした。それでは、会社を成長させるどころか、事業継続の足を引っ張りかねません。ですから「自分たちは何者か」を定義できなければ、社屋に対して自信を持って投資ができないと考えました。そうしたことから、改めて自らが”何屋”なのかを問い直し、「私たちは”管屋(くだや)”である」というところに行き着いたのです。
当社が終戦直後から注射針や金属パイプを製造してきたように、管がこの世の中からなくなることはないと思っています。そのなかで今後、社長である私の役割は、いかにして事業領域の幅を広げていくか、ということです。2020年からは3カ年計画をスタートさせ、現状の製品に付加価値を創出し、より消費者に近い目線で事業を展開していけるよう、事業の指針を明確にしています。
ものづくりを通して、地元への恩返しを。
当社は今後も、どんなカタチでも生産者という立場を守り続けていきたいと思っています。私は常々、生産者は尊い存在であると思っています。ものづくりをする人がいなければ、この世の中は成り立たないからです。例えば昨今、新型コロナウイルスの影響でマスクが不足するなど、お金があるのに物が手に入らない、あるいは物の値段が10倍や20倍に膨れ上がるような事態が起こっています。このようななかで、必ずしも画期的なだけではなく、必要な物を必要な時に必要な人に供給する、そこに使命を感じています。
当社はこれまで、卓越した特殊技術を保有する地元の協力会社とともに成長してきました。当社は、お客様の数と同じくらい協力会社の数が多いことが特徴です。当社が長年培ってきたパイプ加工の技術や滅菌による無菌性の保証は、世界に通用するという自信があります。そして、この高い技術や品質とこれまでになかった異業種を結びつけることで、あらゆる産業に応用でき、無限の可能性があると感じています。
私の根本的な価値観のひとつに、「栃木を元気にしたい」「育ててくれた地元に恩返しがしたい」というものがあります。2020年10月に行われた『Forbes JAPAN SMALL GIANTS AWARD 2021』に出場し、関東・中部ブロックで「ローカルヒーロー賞」を受賞しましたが、このこともまた、地元への恩返しになっていればいいなと思っています。
創意によって世界中の福祉に貢献し、たくさんの命を救う。
当社では現在、脳血管分野の治療で世界が認める超一流のドクターたちと共同で、医療機器の製品開発を行っています。設計開発担当の社員だけではなく、製造現場の社員もドクターたちとダイレクトに関わることで、医師が本当に使いやすく、また製造現場でも生産しやすい工程を確立することを目指しています。
究極の目的は、一流の医療機器を世界中の医療現場に安価で提供すること。これは当社の社是である「創意によって世界人類の福祉に貢献する」を具現化したものです。先日、世界で活躍する脳外科医との出会いがあり、今でも忘れることができない言葉をいただきました。「私がどんなに手術を頑張っても、1年に300人くらいしか救えません。でもあなたが造っている医療機器は、何千万人もの命を救う可能性を秘めているのです」と。この言葉を胸に刻み、今後も邁進していきます。
採用が経営を変えた瞬間。
1人の人材が社内にもたらす影響は非常に大きいと感じています。当社には現在、経営企画部長を務める女性がいますが、彼女を採用したことで社内が大きく変貌しました。例えば、自社採用への取り組みです。新卒採用は社長就任当初から私が一人で担当し、内定辞退対策などに苦慮していましたが、彼女が参画してくれてから、採用プロセスや内定後のフォローを見直すことで、採用したいと思った学生を高い確度で繋ぎ止めることができるようになりました。
また「自分より優秀な社員を採用する」という採用コンセプトも確立させることができました。何よりも大きかったのは、彼女が課長、部長と昇進したことがロールモデルとなり、女性社員はもちろん、男性社員にとっても、仕事への向き合い方が変わるきっかけとなったことです。
市場価値の高い人が集まる魅力的な会社でありたい。
そもそも、「人材」や「雇用」に対しては特別な想いがあります。父の時代、プラザ合意後の円高の影響で、売上がピーク時の4分の1まで落ち込み、270名いた社員を70名まで減らしたことがありました。父はそのことをずっと悔やんでいて、私に会社を託すとき「どんなことがあっても社員の生活と雇用を守れるような強い会社にしてほしい」と言いました。社長に就任してからの5年くらいは『父ができなかったことを自分が代わりにやる』という想いでしたが、ようやく父が作りたかった会社になってきてからは『自分がどういう会社にしたいか』というのも見えてきました。
社員には、「一流の会社になろう」と常々伝えています。「一流の会社」というのは、規模だけではなくて、「高収益で高収入」「市場価値の高い人材の集まり」ということを意味しています。
社員1人ひとりの市場価値を高める取り組みの一例として、当社ではチャレンジシートというものを導入しており、生産性を向上させるために、日常業務プラスアルファのチャレンジを促しています。社員間で「今期はこれをやってみよう」「もっとできそうだ」といった前向きな会話が生まれるなど、大きな効果を感じています。
また、こういった雰囲気は社外にも伝わるのでしょうか、新たに優秀な社員を迎えることにも一役買っています。究極のところ、私は栃木精工を、他社からも声がかかるような市場価値の高い人材の集まりにしたいのです。でもそのうえで、社員自身が栃木精工を大好きでいてくれて、『いろいろあったけど定年まで勤め上げちゃったな』と思ってもらうことが理想です。星の中心にいるような、人を惹きつけて離さない会社にしたい。それが、私が経営者として目指すべきところだと思っています。