電気分野を中心に事業多角化で売上100億円突破。人づくりを大切に、DXを推進。
明電産業株式会社
代表取締役 毛塚 武久
1968年生まれ。大学卒業後に1年間のイギリス留学を経て、栃木銀行に入行。営業として地場の顧客企業を担当する中で、決算書の見方や経営について学ぶ。2年勤務した後退職し、1995年に父が経営する明電産業株式会社に入社。営業社員として社内トップセールスを記録する。那須塩原営業所所長、営業部長、専務取締役を経て、2008年に代表取締役社長に就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
75年以上の歴史を持つ、電気の総合エンジニアリング商社。
明電産業の設立は1948年。弱電・電設資材の商社としてスタートしました。その後、電設部門を拡充するとともに、販売だけでなく設計・施工まで一貫して担当する技術力を育成。さらに、太陽光発電や蓄電池、LED照明、空調といった分野に事業の幅を拡大。「販売力」「技術力」「IT力(情報力)」「コンサルティング力」を駆使し、「電気」に関するベストな提案を行う総合エンジニアリング商社へと進化しています。
現在、事業の柱となっているのは以下の4領域で、「創エネ」「蓄エネ」「省エネ」「制エネ」を効率よく循環させることで、電力の地産地消を目指しています。
<創エネ>
●環境事業/太陽光発電の企画・設計・施工・メンテナンス
<蓄エネ>
●蓄電池/蓄電池導入による電力の柔軟な活用の提案・施工・メンテナンス
<省エネ>
●照明・電設資材/住宅、オフィス、工場、商業施設で使用されるLEDなどの省エネ型照明や、電線、配管・配線用部材、架線金物、分電盤など数十万点に及ぶ電設資材の取扱
●空調/家庭用・商用の省エネエアコンの新設・交換、蓄熱暖房機・床暖房などの販売・施工・メンテナンス
●オール電化/オール電化住宅用の電気機器の取扱
<制エネ>
●HEMS・BEMS/住宅やビルの電気をコントロール
事業拠点は地元の栃木を中心に茨城にも展開。さらに、ソフトウェア開発を行うシステム・ツール株式会社など5つの子会社を含め、明電産業グループ全体で群馬、埼玉、東京にまでエリアを拡大させています。
会社のプラスに貢献しようと、新規開拓にまい進。
私は大学を卒業し、海外留学を経験した後、地元の銀行に就職。多くの顧客企業を担当する中で、決算書の読み方や融資条件、そして中小企業の経営について学びました。明電産業を経営していた父の体調の関係で銀行を2年で退職。以後、明電産業でキャリアを積みました。
私の父は経理に強い反面、営業はわからないためメンバーに任せていました。それを意気に感じたメンバーが力を合わせ、業績を引っ張ってくれたのです。おかげで、明電産業はとてもチームワークが良く、アットホームな社風を形成していました。それは、父ならではの経営手腕の成果であったのだろうと思います。父は、社員の家族も自分の身内のようにかわいがっており、そういった姿勢は見習わなければいけないと感じました。
営業を担当した私は、好んで新規開拓を行いました。なかには一筋縄でいかないお客さまもいらっしゃいましたが、そういうお客さまほど懐に入ると信頼してくれ、「あなたから買いたい」と言ってくれる関係性になるものです。そこに面白みを感じ、難しいお客さまをどうやって振り向かせるかに注力していました。
社長の息子である私は、「成果を挙げて当たり前」です。既存顧客との実績を維持した程度では、周囲は認めてくれません。だから新規開拓を重ね、少しでも会社のプラスになりたいと思ったのです。これは、社長就任後も変わりません。父の残した財産に新たなカテゴリーを加え、発展させなければいけない。そんな思いを抱いていました。
社長就任後、メガソーラーなど新事業を立ち上げ。
社長に就任したのは2008年、40歳の時です。就任直後に起こったリーマンショックは、当社にも多大な影響を及ぼしました。売上は前年比で20%以上ダウン。危機感を強めた私は、リスクヘッジのために新事業を模索しました。
そこで、電設資材の販売だけでなく、設計や施工も担うため、技術部門を設立。商品の取り付けまで行えばお客さまは楽ですし、当社にとっても工事分の利益をプラスできます。 2012年にはメガソーラー事業に参入。メガソーラーには広い土地が必要なので、人口の密集する都心部よりもローカルの方がやりやすいのです。3,000坪の土地を購入し、パネルメーカーから技術者を派遣してもらって、那須塩原にメガソーラーを設置。初期コストはかかりましたが、投資回収した後は利益を生み続けました。
このメガソーラーをショールームとすることで、さまざまなお客さまの土地活用を提案。自身が投資した上で利益を出しているという実績は、お客さまの納得を得る上での大きな強みとなってくれました。その後、当社は数多くのメガソーラーの設計・施工を手掛けました。
ビジネスの変化を先取りするため、DXに注力。
今後は、DXにも力を入れたいと考えています。もともとITへの取り組みは積極的で、2014年には全営業社員にタブレット端末を持たせ、情報共有するようにしていました。
さらに、デジタルマーケティングの時代が来るという予測のもと、ソフトウェア開発のシステム・ツール株式会社をM&Aで子会社化したのは、2015年です。
コロナ禍が巻き起こった2020年、当社は先駆けてオンライン会議システムを整備し、同年7月には業界でいち早くWeb展示会を開催しました。全国大手の企業ならともかく、「栃木で電気関連の事業を営む中小企業になぜそんなことができるのか?」と驚かれましたが、IT導入に前向きであり、スキルを持つ社員が既にいたから実行できたのです。
卸の業界全体を見渡してみると、DX導入はまだ十分になされていません。しかし、生成AIの登場などITはどんどん進化しています。その波は、間違いなく私たちの業界にもやってきます。5年後、ビジネスはがらりと変わってしまうかもしれません。そこから人材や技術を準備しようとしても遅いのです。
これからは物理的な営業拠点の拡充は必須ではなく、デジタルによって提案内容や営業エリアを広げられると考えています。単純に物を売るのではなく、物を買うことでお客さまの生活やビジネスはどう変わるのか、というストーリーを売る。そんなコト売りのビジネスをスタートさせるためにも、デジタルへの注力は不可欠です。
協業や連携、M&Aなども活用しながら明電産業グループを広げ、デジタルの基盤を構築していく。そして「電気」を柱に、シナジーを効かせながら幅広い事業を展開する。そんな未来像を描いています。
社員が幸せであることを最重要視。
社長に就任して15年。グループ全体で売上は115億円を超え、社長就任時の3倍以上になりました。
売上アップはもちろん大事ですが、それ以上に重要なのは、グループの社員が幸せであることだと思います。私は、自分の家族のように社員を大切にする父の背中を見て育ちました。その姿勢は、しっかり受け継ぎたいのです。この会社に来て、やりがいを感じる、ハッピーだと心から言える社員を増やすのが、私の務めです。
そのためには私が独善的にならず、客観的な目を持ち続けないといけないでしょう。私は何かの提案があったとき、自分の考えを一方的に押し付けるのではなく、提案者の意図を必ず聞くよう心がけています。他者の意見・発想を参考にすることで、自分の不足を補う。そういった自己変容力が、リーダーには必要だと思うからです。
そのことは私だけでなく、管理職クラスにも実践してもらっています。部下の提案に耳を貸さない。新人を頭ごなしに叱りつける。そのような態度は厳に慎み、アンガーマネジメントを学んでコミュニケーションをとるよう伝えています。
20代の若手が集い、会社の将来を忌憚なく話し合う「ハッピーラボ」というプロジェクトも立ち上げました。特に何かの成果を求めるわけではなく、働きやすい職場にするため知恵を出し合って、もっと良くしていこう、というものです。始めて1年ですが、「会社は2番目のマイホームなのだから、もっと挨拶を交わそう」とか「退勤時間を早くするため、帰社後の書類仕事を簡略化・分担しよう」といった、当社らしい改善策が出てきています。
失敗を恐れずチャレンジしてほしい。
社長就任直後に売上大幅ダウンを経験しながらもここまで来られたのは、社員のおかげです。メンバーとのチームワークを大切にしながら、失敗を恐れずに進む。そんな姿勢を持った社員たちが、当社を牽引してきました。
今でも、私は新入社員を迎えるたびに言っています。チャレンジしなければ失敗はないが、大成功もない。失敗を恐れず進むことこそ最大の武器なのだから、恐れずチャレンジしてほしい。ミスは先輩がカバーするから、心配いらないと。
それは新入社員だけでなく、キャリア人材に対しても同じです。ここに来た以上は幸せな人生を送ってほしい。やりがいのあふれる日々を過ごしてほしい。そのため、いろんなことにチャレンジしてほしいですね。みんなで力を合わせながら課題に向かっていく。そこにやりがいを見出す人を、仲間としてお迎えしたいと思います。
人によっては、「自分はマネジメントに向いていない。一生プレイヤーでいたい」という考えもあるでしょう。逆に、マネジメントでこそ能力を発揮できる人もいると思います。みんな、それぞれの場所で活躍してほしいと思います。プレイヤーしかできないからといって、評価を下げたりしません。
「当社に来てよかった」「幸せだった」という人を一人でも増やすため、私も経営者として、もっともっとチャレンジします。一緒にいい会社を創り上げましょう。